世界

 わたしはAの紡ぐ世界が好きだ。言葉によって紡がれるAの世界は、いつもあたたかくて、ちょっぴりさみしい。Aはいつもいろいろなことを考えている。でもわたしがそのすべてを汲み取って理解することは難しいだろう。人は完全にわかりあえない。しかしそれは諦めではない。だからこそ極限までわかろうと歩み寄ることをやめたくはないし、そうして理解を手放さない時間にもわたしは幸せを感じるのだ。Aの見ている世界は、Aを通して発信され、わたしというフィルターを通してわたしの内部に映る。そこに映し出される世界は、Aが見ているものとはまったく違うものかもしれない。そう思うとさみしくなる。でもAの世界がわたしの中に映し出された時、わたしは確かなあたたかさをいつも感じるのだ。Aの世界に、心に触れる度に、澄んだ冷たい空気の中で、控えめに光を放つ丸みを帯びたAの心を手で包むと、ぼんやりと温もりが伝わってくるような、そんな感覚を覚える。それが愛おしいという感情なのかもしれないと、春の月を眺めながらぼうっと思った。

希望

 Aとお出かけをした日は洗濯機を回すには遅い時間に帰宅するため、翌日まとめて洗濯することにしている。普段は夕方に洗濯して、夜に昨晩から一日干していた洋服を畳むのだが、お出かけをした翌日は畳む洗濯物がない。そんなお出かけの痕跡に気づくと、どこかあたたかい気持ちになり、昨日のお出かけを思い出してわたしの心は旅をする。わたしの左隣はすっかりAの定位置になっていて、それが崩れるのは合流して嬉しそうに手を振ってくれる時と、帰宅の際に背中を見送る時、そして食事の時だけだ。並んで話す時間も、向かい合って言葉を交わす時間も、わたしにとってはどれも穏やかだけど煌めいていて、とても大切に思う。時に穏やかでいられなくても、一緒に考えて一緒に悩んで言葉を交わせることが何より嬉しい。Aの見ている景色が知りたい。Aの瞳に映る世界が、聞こえる音が、感じる温度が、わたしをあたたかな場所へ連れて行ってくれるのだ。それをわたしは、この上なく幸せだと思う。ここに人間が二人いて、お互いが見えている景色を伝え合い、未来を描いて歩んでいけることを希望と呼ぶのかもしれない。ふといつものベンチを思い出す。また宙にわたしの名前を書いてよ。